みんなで夜に歩く。
それが、いつしか特別なことになり、ありえない奇跡を引き寄せるのだった。


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恩田陸は苦手だ
少しもおもしろくない
僕との相性は最悪だった
何で、ベストセラー作家なんか、よくわかんない

なのに、平成最後の本に
苦手というか、天敵の恩田陸を選んだ

夜のピクニック
タイトルが、ひっかかる

歩行祭
朝の8時に学校を出発し
翌日の朝の8時に戻ってくる
24時間(仮眠、休憩あり)
とにかく、歩きまくる
軍事教練の一つであろうか?
モンスターペアレントの攻撃材料になりそう
やばい
24時間歩きますかって
子供の頃見たリゲインのCMのようだ
ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニーズビジネスマーン。
時代に逆向しとる
今は、働き方改革の時代だぞ
コンプライアンス的に問題ありそう
教師の労働基準にも抵触しそう
というか、生徒が暴動起こしそう
歩け、歩け、歩け 
24時間歩くのだ!

何のために、こんなスパルタ行事をする?

それは楽しいからだ
みんな、この行事が好きだからだ
だから、やってる


いきなり、結論を言います
これは名作です
たぶん、令和の時代になっても
その次の時代になっても
人々を興奮させ、感動させる
そう、読むしかない作品です
すごかった
気がつくと、つんのめり、夢中となり
ページをめくっていた
自分が、知らぬ間に西脇融になっていた
甲田貴子を愛おしいと思うようになっていた
妹としてだよ
兄妹だからね

日常生活というのは、1つの物事を深く思考するのに適さない環境だと僕は思う

毎日のタイムスケジュールがあって
分刻みの忙しさ
家でも、食事、風呂、読書、Twitterの確認
いつも何かしていて、忙しくて、何かを真剣に考える
そういう環境ではない
昼飯は30分
それ以上かかると、次の予定が侵食される
たから、歩くのも早歩き
時間、時間、時間、時間・・・

むしろ、長時間連続して思考し続ける機会を阻害しているようにすら思える
意識的な排除だともいえる
何かに疑問を感じないようにしている
疑問を感じた瞬間、前に進めなくなるからだ
それがわかっているから、そうしている
わざと忙しくしている
深く物事を考えないために
それが大半の大人であると、僕は思っている

P73
・・・朝から丸一日・・・歩き続ける限り思考が一本の川となって、自分の中をさらさらと流れていく。旅行に出た時と同じ感じに・・・

いつもは、話さないようなことを
疲れた頭で答えることによって
隠していた本音が出たり、秘密が暴露されたり
日常とは違う、非日常の時の流れがそこには成立している

歩行祭を通過した印象は・・・
P97
過ぎてしまえば、みんなで騒いで楽しくて歩いていたこと、お喋りしていたことしか思い出さないのに、それは全体のほんの一部で、残りの大部分は、仏頂面で、足の痛みを考えないようにして、ひたすら前に進んでいたことをすっかり、忘れてしまっているのだ。

これって、まるで、僕たちの人生そのものではないか?
今、平成が終わろうとしているのだが
頭にあるのは、その大半を占める苦しかった受験勉強のことではなく、労働のことでもない
イベントごとのインパクトのある出来事ばかり
つまり、歩行祭は人生の縮図なのである

P414
「みんなで夜歩く。ただ、それだけのことが、どうして、こんなに特別なんだろう」

それは1200人のみんなが同じことを体験した
苦しみや楽しみや感動を共有したからであり
やりきったからだと思う

普通、24時間も歩いたりはしない
1時間であっても拒否するでしょう
それを全校生でやっていることが良い
意図はわかんないが
そのやり遂げた達成感なら想像できる
その疲れは、たぶん、すごく心地よいものだと思う

これは、西脇融と甲田貴子という異母兄弟のうち溶け合う話しなんだけど
この歩行祭という
設定がなければ、これほどに爽やかには描けなかったと思うんだ

今は、ちょっとしたことで、PTAが騒いだり
教師の労働時間がとややこしいが
こういう過酷な体験を共有することによって
得られる特殊な体験というのもあり
それは、たぶん、修学旅行よりも、もっと、得難い何か宝物のようなモノなのであって
部活を全力でやりきったとか、学祭で頑張ったとかと同じ
そこに自己の存在意義を刻み込むような
そのことによって、一気に成長するような
そういう出来事なのだと思う
それが歩行祭であり
この24時間なのである
読者は、それを主人公二人のフィルターを通して追体験できるというのが
この本の魅力なのです
良い本なのですよ
おもしろいです

ページ数 455
読書時間 約10時間
読了日 2018年 4/30 (平成最後の日)


【中古】夜のピクニック / 恩田陸
【中古】夜のピクニック / 恩田陸